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嵐のくる前に

「本当に浮いた!」
「うるせえとっとと拭け」
 小屋に用意されていたタオルの束から一枚掴んで投げつける。「ぶ」サルア・ソリュードが静かになったのは、それを自身の顔面で受け止めた一瞬だけだ。
「なんだよォ」ずり落ちた布の下から現れたのは、先程のはしゃいだ表情とは打って変わって不満顔だ。だが声にはまだ気楽な響きも残っている。「ちょっと感動したんじゃねえか。人体が水に浮くなんて。ありゃあ魔術みたいなもんだと思ってたんだが」
「脂肪の落としすぎだ」
「それは昔に聞いてた。真水じゃ無理だが、海水なら可能かもってのもな」
 やはりというべきか、男はすぐに調子を取り戻し、顎から滴る雫を拭いながらにやつく。
「だからっていきなり飛び込むんじゃねえ」
 おかげでこちらまで水浸しだ。金槌と聞いていたせいで、すぐ隣で水柱がたったときには泡を食った。慌てて船の縁から身を乗り出し、海水に漂う男を引き上げたまではいいが、彼の身を内側に下ろす際に男がへまをした。苛々とした心持ちで、なんとなくへしゃげた気のする爪先を見下ろす。まったく、あんなところで蹴躓かなくてもいいだろうに。
 こちらの心中を察する様子もなく(というか、気にもしていないという素振りで)、飛び込む前に脱いでおいたらしい乾いたシャツを指先に引っ掛け、元凶の男はなんとも偉そうだ。
「不測の事態を想定しておかにゃならんと言ったのはお前だろ」
「ああ、そうだ。だから少しは訓練しておけと言ったんであって、てめえの部下の血の気をひかせろとは言ってない」
「どうせ魔王が助けるってのに」
「……」この広い世界に、また新たに理解できないものが発見されたというのに視線を振らないわけにもいかなかった。「本気で言ってるのか、それ」
「事実だろ」
 対して、男はいつもの意地の悪い瞳を寄越す。
「俺にまだ価値があるなら、お前はそうするさ。なにがなんでも」
「相手が誰だろうと、自分が放ってたら死ぬ相手がいたら助けるだろう、普通」
「ああ、まあ。普通はな」
 小さく笑った彼は乱雑な仕草で頭を拭きながらこちらに背を向けた。彼が身体を向けた方角から、慌てた誰かが呼び出したのであろうメッチェン・アミックが目を吊り上げて向かってくるのを認め、早くしこたま絞られればいいとだけ願った。

秋田禎信ワンドロお題「海」