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灰色の夢を見た

 とうとう降ってきた雨に濡れて、アーバンラマの街はますます重い質感に沈んだ。晴天ならば賑わう通りも閑散としている。一本の路地を曲がって、その姿を見つけた。
「サルア」
「おう。その声、キリランシェロか」
「何やってるんだ」
「浴びてる」
 見ただけでわかるようなことを返してサルアは笑った。子供のように足を投げ出して、階段に座り込んでいる。路面は舗装されているから衣服もそれほど汚れはしないだろうが、いい大人がやることではない。
「キムラックは、あの通りだったからな。水は貴重だ。大抵のやつは、雨が好きなんじゃないのかね」
「そうだっけ」
 関わりのあるキムラック教徒数名との会話を思い出してみるが、それほど印象に残ってはいなかった。常に空気中を漂う砂塵がおさまるのはよいものの、雨がやんでしまえばすぐに泥のようになり、詰まった排水溝の掃除に苦労したと言っていたのは誰だったか……
「そうとも」
 目を閉じて顎を上げ、けして弱くはない雨をその身に受ける男は、楽しげに、しかし口惜しそうに言う。
「ああ。冷たくて良いんだが、喋ると飲んじまうのだけがなぁ」
「黙れば?」
「なるほど。俺に死ねと」
「言ってねえよ」
 呆れて傘を傾ける。狙い通り、布地に溜まった水滴が滴ってさらに男の顔を濡らすが、本人は特に気にもしないようだった。
「言ってるさ。俺は、歌でも歌いたいくらいなんだぜ」
「……ふうん」
 否定でも肯定でもないただの相槌を返して、それ以上続けるべき会話がなくなった。
 それこそ歌い出しそうな、上機嫌の男の顔を眺める。前髪を額に貼り付け、常よりも幼く見える。肌を伝う雨を拭いもせずに彼は――無防備にも、こちらを見ていない。
 唇を歪めた。彼の信頼は心地よい。だが、それは諸刃の剣だ。場合によっては自分も彼も傷つけることになる。
 再度傘を傾ける。今度は攻撃するためではない。男の顔を覆い――いきなり降り止んだ雨に、彼の瞼が開くのを見ながら――片足を階段に乗せる。膝と腰を屈め、寛げられたシャツの襟を片手で掴んだ。暗い色の影が路面に落ちる。傘とその間の狭い空間で、顔に顔を寄せ、小さく囁く。
「あまり、気を許すな」
「なに?」
 怪訝に変わる表情を眺めはしなかった。わずかに顔を傾けるだけでいい。それだけで、濡れた唇に舌を這わせることはできる。雨のカーテンに隠れ、目を閉じて、唇を押し付ける。
「ん……っ」
 肩に手が触れた。こちらを押しのけようとする手だ。そう。それでいい。唱えながら、そのうえで強引に踏み込んだ。吐息を舐めとるだけで、その奥には向かわないけれど。今は、まだ。
 こんなところでは。
 ゆっくりと目を開くと、呆然とした顔がそこにあった。
「喉が渇いてたんでな」
 言い訳の体すら成さない台詞を吐いて身を起こす。
「体調を崩す前に切り上げろよ」
「あ、ああ」
 戸惑いを整理しきれていない声を背に、足早にならぬよう気をつけながらその場を去った。