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HOME, SWEET HOME

 開けた扉をそのまま閉じてしまわなかっただけでも、自分はよくやったと本気で思った。
 土地の広さだけは確保してあるものの、建物としては小さな家だ。住人が二人以上に増えるあてもなく、泊めるような客人が訪ねてくることも頻繁ではないと予想されたから、部屋数は少なくていいと考えて建築した。なによりも妻が庭を広く造りたがっていた。自ら植木の世話などしてそこそこ楽しんでいるようである。使用人を雇うような生活は必要ないと彼女は言ったし、自分もそれに同意した。
 だからこの家にあるのは、彼女と自分、二人の気配だけのはずなのだが……
「おかえり」
 当然のような顔でリビングの壁にもたれ、湯気をたてるマグカップに口をつけている男を見出して顔をしかめる。
「おいおい。来るなんて聞いてねえぞ」
「言ってないからな」
「メッチェンは?」
「訪ねてきたら、出かけるところだったよ。置き手紙はそこだ」
 指の先を辿れば確かにテーブルの上に書きつけが乗っていた。その内容はあとで確かめることにして、荷物を扉の脇に下ろす。
「なんの用だ」
「用がなくちゃ来ちゃいけないか?」
「駄目とは言わないが、こっちにも準備ってもんがあるんだよ」
「お前に?」面白そうに魔王は笑う。「夫人に歓待してもらうことはあるが、お前に客を迎える準備なんてもんがいるのか」
「ああ。心のな」
 正直なところすべては口から出まかせで、そんなものが必要であった試しはない。
 だが、こちらの放る軽口を受け取る男が、いつになく険のある表情をしていることに気がついて声をひそめる。
「……なにか、問題が?」
「いいや。特段、用はないって言ったろ」
「はあ」壁から身を離して目の前を横切る彼の姿を、困惑しつつも目で追った。「生憎、お前とするような世間話の種がねえんだが」
「奇遇だな。俺にもない」
「なら帰れよ」
 とは言いながら、頭の後ろで手を組んで彼の背に続く。
 男はそのまま部屋の真ん中に並べてあるソファに沈みこんだ。いつも妻の座る一脚だ。なんとなく眉をひそめるが、鼻を鳴らした男に「宛てがねえ」などと言われれば文句は喉の奥に引っ込んだ。
「なんで。自分ちまでの道もわかんねえのかよ」
「違う。追い出された」
「はぁ?」
「俺みたいなちんぴらは、子育てにゃあ邪魔なんだとさ。――けっ」
 元々鋭い目つきをやたらと細めて邪悪な笑みをつくる男を前にして、他にどうすることもできずに頭を掻いた。
 詳細を聞き出すまでもない。ただの痴話喧嘩に、説教などが必要であるものか。
「鏡の前で今のツラをやってこい。てめえの女房の言い草にも納得がいくと思うぞ」
「で?」
「いや。で、って」
「俺があいつの言い分に納得したとしよう。で――父親を失格になった俺は、一体なんになりゃいいんだろうな?」
「あのな」
 よくない傾向だ。そんなことは、顔を見たときからわかっていたが。
 この男はどういうわけか、すぐに自分を避難所にするのだった。
「父親か」天井を見上げて男はふと表情を消した。「もう忘れたな……」
 ぽつりと落とされた言葉にも温度は感じられず、つまり彼は本気でそれを言っていた。
(同情されたいわけじゃない。そうだな?)
 胸の中で誰かに問いかけて、嘆息で思考を打ち払った。
「……それ、飲んだら帰りな」男の手の中のマグカップを指差して言う。「なんになろうって、お前がお前以外のなにかになれるわけじゃねえんだからよ」
「相変わらず正論だな」
「一般論だ。誰でも知ってる、当たり前のことを言ってるに過ぎない」
「当たり前、ね」彼はテーブルにカップを置いた。黒々とした水面が波打つ。「それなら、親のなり方なんてもんを、お前の『みんな』は知ってるのかい」
 うっすらと弧を描く唇の上、こちらを見据える瞳には、得体の知れない色が渦巻いている。
(面倒くせえ)
 こういう顔をした人間がやたらとしつこいことを知っていた。辟易していることを隠す気にもなれずに、彼の隣に――自分の定位置に、乱暴に腰を下ろした。肘置きにだらしなくもたれて男を眺める。
「見たとこ、酔ってもなさそうだから言うが、妙なところで突っかかるんじゃねえよ。そんなんだから嬢ちゃんに叱られんだ」
「るせえ」
「なり方なんてわからなくても、なるようになんだよ。お前がそうなろうとさえすればな。んなこともわからねえほど馬鹿じゃねえくせに、なにを拗ねてんだ」
「……ああ。拗ねてるのか、俺」
「それ以外のなんだって言うんだか、知ってたら是非聞かせて欲しいね」
 ふん、と鼻を鳴らすと、やっと男の顔が緩んだ。
 ただし――
(……ん?)
 ソファの背がわずかに軋んで、思い出したことがある。
 曲がったへそを正したあとの彼は、変な方向に振り切って、たいていとんでもないことをやらかすのだった。
「おい。なんだ」
「ちょっと思い出してみようかと」
 にやりと笑む顔が思いのほか至近距離にあった。身を引こうとするが、元々そこまで広くもないソファの上で、しかも自分がいたのは角だ。逃れられるはずもなく、腕が身体を囲むのを見ているしかない。
「たぶんあの日だったと思うんだよな」
 ――なにが、と問いたくもない。
「あほか」ぐったりと身体の力を抜く。「ふざける余裕が出たなら帰れよ。女の機嫌をとるなら早いほうがいいぜ」
「まあ、その前に、ちと付き合えよ。ごっこ遊びだ」
「……冗談きついぜ……」
 絶望に浸された目を泳がせる。他人の吐息が首筋の薄い皮膚を撫で、反射的に筋肉が震えた。眉根を寄せて男を睨むが、小さく喉で笑われるだけでさほど効果はなかった――男が完全に面白がっていることだけはすぐに知れたが。
 しかしそれどころではない。触れるか触れないかの瀬戸際にある身体を突き飛ばしてしまわないようにするだけで精一杯だ。まさかそんな無様を晒すわけにはいかなかった。そんなことをして、これ以降もからかわれるような種を蒔いてしまえば、一生後悔するに違いないのだから。
 うなじを熱い掌が撫でてゆく。くつくつ笑う顔がその後をついていった。それさえ目を閉じて受け入れてやれば、さすがに男も動きを止めた。こちらを圧迫し踏みつける姿勢で、だが。思わず文句をつける。
「重い」
「そうか。だが慣れてもらわなきゃ困るな」
「……なんで」
「さて。なんでだろうな?」
「知りたくもねえよ」
「じゃあ訊くな……、痛て」
「ふざけられる程度なら帰れっつったろ」
 限界だった。ぞんざいに男の肩を押し退けて、見上げてくる目と目を合わせる。
「なにがごっこ遊びだ。人の親になるってのは、こういうこっちゃねえだろ」
 これは——これが模倣などでなくとも——確かに原因ではあるが、本当は、たいした意味など持ってはいないのだ。
 男が破顔する。
「やっぱりお前のところに来て正解だったな」
 どういう意味だと尋ねる前に彼は両手をソファの座面に滑らせて、いつの間にかのしかかってきていた足のほうは床に落とした。わずかに圧迫感が薄れて小さく息をつく。まったく、駄々っ子の相手はかように面倒だ……
「っ!?」
「愛してるぜ」
 そんな台詞を聞きながら、自らの首筋に触れた。男の唇が、言い訳のできない強さで押し当てられた場所に。絶句するこちらを見てなにを考えているのか、男はじっと待っている。
(待っている? なにを?)
 返答を?
 まさか――だ。軽く頭を抱えて唸り声をあげる。
「てめえの女房と子供に言ってやれよ」
「ひでぇな。本気なのに」
「泣かれるぞ」
「そうかな」
「あの子は泣かないわよ」
「そう――、か?」
 総毛立つ。
 開け放ったままだったリビングの扉に寄りかかり、いつの間に帰っていたものか――そして、どうして自分たち二人ともが気がつかなかったのか!――妻はこちらに半眼を向けていた。
「随分とお楽しみですこと」
「ち、ちが――」
「ちょっと待て、その。頼む」
 顔を引きつらせたまま口々に言い募ろうとするが、彼女はゆるりと首を横に振って言葉を押しとどめてくる。
「わたしのことは気にしないで。丁度フィンランディ家には届け物もあるし、クリーオウにもきちんと伝えておくわ」
「いや、あのな」
「お幸せに。じゃあね」
 それきりぱたりと閉じた扉を前に、二人、阿呆のように大口を開けているしかなかった。

貴方はオーサルで『新婚ごっこ』をお題にして140文字SSを書いてください。

140文字で書くお題ったー

オーサルへのお題は『黙れバカップルが』です。

お題ひねり出してみた

「なんでこーなった。てめえ、どうしてくれんだ」「泣くなよ」「泣きたくなんかねんだよ」「ごめんて」

たまには診断メーカーの無茶振りに真正面から応えてみようと思ったらこうなりました。メッチェンさんは(ほんとくだんない遊びが好きなのよねー男って)って思ってるので一時間後くらいに許してくれる。でも旦那が必死でちやほやしてこないとどんどん時間延びる。さーがんばれサルア君!