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にじみ

「望み通りに詰ってやろうっていうんだ。感謝してもらいたいもんだな」
 二十年。
 その長い間、彼に強いてきたこと……乞うふりをして啜り上げては嚥下してきたものの数々が、今、苦い味として舌の上に蘇った。身を強張らせた男の硬い表情を冷たく見下ろす。その視線の先にあるものがなんなのか知っている。止めはしない。それこそが彼の希求することだった。そして、彼が自分に与えるたびに呑んできたのは、おそらく、今自分が抱える胸の重石だった。
 男の視線はこちらを捉えない。もとより彼のすべては彼女のものだ。たとえもう二度と口にはできない果実だとしても。
(いいや)
 おそらくいつまでも彼はあれを食んでいるだろう。飲み下した胃の中から、深く楔となって打ち込まれ、こうしてにじみ出したのだ。ここをこうして抉れとばかりに主張する、彼女の影が。
 優しくしてやるよ。
 まるでその言葉が全世界の秘密みたいにして囁いた。男はただひとつ呼吸をしただけだった。
 痛みは排除すべきだ。
 必要なのは、身を引きちぎる泥沼の甘さだ。快楽だ。限りなく幸福に近い何物か。もし押し退けられれば離れてみせよう。彼自身の意思で行われていることだと見せつける、そのために。
 けして冒してはならぬ領域に、今から足を踏み入れる。だというのに男はこちらを見ていない。もう二度と、あの目と声で憐れんではもらえない。
(これで本当によかったのか)
 問いに対する答えは求めなかった。教師たる彼は自分が殺した。それを悔いていると言えば――彼は許すだろう。今となっては瑣末なことだ。たいした意味はない。それでも、もうなにも奪いたくなどはなく、硬く唇を結ぶ。
 彼らの教義には無知な自分でも、これが禁忌とは知っていた。彼の身体にこの血を混ぜる。これでもう二度と彼女には触れられない。来世などという奇跡が、もしも存在するのだとしても。
 丁寧に衣服を剥ぎ取りながら、動かない彼の視線の先にあるものを見た。同じ場所から同じものを見て、しかし全く同じようには見えていないだろうその花の咲く庭……ここもまた、誰かの聖域。