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魔人たちは嘘をささやく

 緑の草木が生い茂る目抜き通り、ちょっとした広場ほどの道幅を持つアラウンド・ターン・ストリート——<“始点にして終点”通り>はにぎわっていた。歩行者の衣服と肌で色とりどりの雑踏の頭上を、時折、バッタ型半飛行艇が跳躍する。その中で、前時代的で鈍重な大型節足車輌<ワンダーニッパー>がひとつ、ゆっくりと闊歩してゆく。
 その無闇な巨大さで、本来の不恰好なシルエットを強引に迫力あるものに見せる鋼鉄の高足蟹の下は涼しい。
 ぎくしゃくと揺れる黒々とした影に包まれて歩みを進める。街の外に広がる広大な砂漠、その炎天下を歩き回った二か月の間に身体に染み付いてしまった歩き方だった。もう何年も前からこの腹の下にいたと思える。陽が落ちて凍える夜が訪れれば、雇い主の合図で腹の中に入る。少量の食事をとって、雇い主の雑談に付き合い、短時間の休息をとる。目覚めれば空がいまだ月を戴いていようとその時点が朝である。鈍足の蟹とともに歩き、髪の中にもぐらせた通信機でやはり雇い主の暇つぶしに付き合う。
 その旅も終わりに近づいていた。
 正確に言えば残り八歩である。蒸気をあげて路肩にうずくまろうとするワンダーニッパーの丸い腹の下から、歩調を変えないまま一歩、二歩……八歩、抜け出る。
 あやうく後頭部をかすめた熱源をゆっくりと振り返る。最も車高を低くした姿勢であるにもかかわらず、依然として頭上にあるハッチからは、幼い雇い主が顔を覗かせていた。
「ねえ、そろそろ本名を教えてくれてもいいんじゃない?」
 少女の黒髪は長旅で薄汚れていた。表情も疲れきって硬いが、無理に微笑もうとしているのではないようだった。その証拠に、声音に緊張が感じられない。
「その必要が?」
「ないかもしれないけど、あなた、この仕事が終わったら、どこにも行くところがないんでしょ」
 黙って少女を見返す。なぜそんなことを言い出すのかと問わずとも、彼女は小さく肩をすくめた。
「わたしもひとりだから、なんとなくわかるのよ」
「護衛を続けろと? 俺は安くないぞ」
「知ってるわ。代金を払ったもの」ハッチの枠に肘をつき、少女はため息をこぼす。「これなら適当な武芸者を四人は雇えたわ」
「なら、今からそれを雇えばいい。俺ひとりの能力とその四人の能力が釣り合うかどうかは、お前の見る目があるかどうかだ」
「もう護衛はいらないわ。それよりもあなたの名前が知りたい」
「どうして?」
 口にするまでもない陳腐な疑問にも、少女は律儀に答えを返してくる。
「あなたと会えたのが偶然だったからよ」
「ここで別れることは契約書で決まっていた——」
「ねえ、名前がわかっていれば、二度目の偶然がある可能性が高くなると言ってるのよ」
 今度はこちらがため息をつくほうだった。潔癖な少女は媚を売るような視線を向けてはこない。ただ、疲れた笑顔を浮かべながらも、真摯にそれを求めているだけだった。
「エドだ」
 少女はさらに笑みを深めた。「それは聞いたわ。偽名でしょう?」
「これから本当の名前にすればいい」
「なにを言って——」
「もしも、この名前にもっとはっきりとした識別記号が必要なら」少女の顔をぼんやりと眺めながらつぶやくように告げる。「エド・クリューブスター。俺をその名前にするといい」
「義兄も養子もいらないわ」
「なら、それ以外だ」
 返ってきたのは沈黙だった。
 こちらの発言を充分に吟味できるだけの時間を置いて、笑顔を消した少女がかぶりを振った。
「あなたがなにを考えているのかわからない」
「さっきはわかると言っていたが?」
「わかるわよ。でも、わからない」手振りで苦悩を示して彼女はうつむき、唇がわななく。「一時でいいって言ってあげたのに。わたしを知っているのに、なぜわたしと一緒にいようとするの。わたしが言い出さなければ、あなた、勝手にわたしのあとをついてきたわ」
「そうだ。心を読まれたところで俺は困らない。お前がなにを言おうと俺は変わらない」
「ええ、そうね。あなたの心に嘘はないわ。だって、あなたは自分自身すら簡単に騙せてしまえるもの。それは恐ろしい才能よ。わたしに興味を抱かせてしまったんだもの……」
 与太話だった。彼女の言っていることは理解できない。ロッテーシャが繰り返すたわごと、蟹の影から外れた場所にいるせいで容赦なく熱せられた肌の痛み、ここが往来であるということ——すべてを無視してエドは口を開いた。
「新しい契約だ」宣言する。「俺と結婚しろ、忘却の森の魔女。心の識者。ロッテーシャ・クリューブスター。俺がお前を護る。その契約が続く限り、誰にもお前を傷つけさせない」
「あなたって」
 ロッテーシャはついに顔を歪めた。そのままハッチを押し開け、迷いのない軽い動作で飛び降りる。彼女に求められたとおりにエドは両手を広げて彼女を迎えた。それでも、少女の体重がぶつかった衝撃を殺しきれず地面に尻をつく。首筋にからまる細腕から殺意を感じることはなかった。自らの両腕も自然と少女の背にまわされた。
「本当に強引ね」
 耳元で鳴った泣き声のようなつぶやきを合図に、空を見上げる。

いろいろ設定だけはあるんですけどね!